人が喧嘩する訳

人間の悩みの中で対人関係が一番苦しいと言われています。

 

心理学者アドラーは人間の抱える全ての悩みは対人関係であると

言っています。どんな悩みも人との比較から生まれるらしいです。

そこまで言い切ると極論かもしれませんが、例えばもしも無人島に

一人で生きていくとしたら?またそれはそれで悩みが出て来ると

思います。

 

どんな人間も人との繋がなければ生きていくことはできません。

そんな中なぜ人は争ったり、喧嘩になったりするのでしょう?

人類皆兄弟と思えば、争わなくても幸せな人生がおくれそうですが。

現実を見るとそれも綺麗ごとですね。

 

自分が正しいと思いたい。相手に分かって欲しい。

むかつく相手がいる。気に食わない。

嫌なことをされた。

 

対人関係で喧嘩になる理由はたくさんあります。

その訳は「人と繋がりたい」という思いからなんです。

嫌いな人と付き合いたくなければ、自然に離れます。

でも喧嘩をするのは心の奥底に「相手と繋がりたい(分かり合いたい)」と

思う気持ちが隠れています。

 

喧嘩をする価値があるから、喧嘩になるのです。

 

怒りは第2感情と言われています。誰かに何か嫌なことを言われた時、

怒る前に実は「寂しい、悲しい」という第1感情があるのです。

でも人はその「寂しい、悲しい」などのネガティブな感情を感じたくない

あまり、怒りとなって外に出します。

 

「そんなことをあなたに言われたら私は寂しいし、悲しいです。」と

なかなか人は瞬間的に感じ、伝えることができず、

「はぁ、何その言い方!」となって頭に血が上るのですね。

 

もしも町ですれ違った酔っ払いに「お前なんて大嫌いだ」と

言われても「なんだこの人?」と思うくらいですよね。

酔っぱらっていなくても、知らない人に嫌いと言われても

ピンと来ません。怒りもわきません。それが愛する人から

言われたら、悲しいですよね。誰に悲しい、寂しい、

怒りを感じるかはその相手が自分にとって大切(重要)な人なんです。

自覚していなくてもですね。

 

怒りを以前ブログに書きましたが、怒りの下には

理解して欲しい、寂しい、悲しい、認めて欲しいという感情があり、

そのずっと奥には「愛して欲しい」が隠れています。

 

だから相手に怒りをぶつけられても、それは「自分のことを

愛して下さい」って言っていると同じなんですね。

わたしも彼が怒っている時は「かわいい」と思います。

だって「愛して~」って言っているのですから。

それを知っておくだけで、喧嘩も最小限のものになります。

裏を読むと相手を良く理解できるのです。どうして

怒っているのかな?わたしにどう愛されたいのかな?

何を分かって欲しいと思っているのかな?って思うと

嫌な相手もそこまで嫌ではなくなりませんか?

 

嫌な職場の上司もいじめっこも皆、繋がりたいのです。

それを素直に出すことが皆できないから、争いになるのです。

心理学も自分のために使うと少し生きるのが楽になります。

 

 

 

 

 

カウンセラー裏事情とこのブログ

いつも本当に多くの方にこのつたないブログを読んで

頂き本当に有難く思います。

 

先日わたしの所属するカウンセラーの会社の

勉強会があり、その帰りの食事で(毎度サイゼリヤ

カウンセラーって正直苦労は多いのにお金にならない職業です)

「不倫肯定ブログを書いてて、会社でもそれを出したらまずいですよね~」と

その日の講師の先輩プロカウンセラーに聞くと、

「会社としてはねー、社会的にね。。。私も中立で

ブログを書いてると(不倫)され妻から、

文句や苦情は来るよ。(それもお金を払ってです)

それを覚悟しないとね」と言われました。

 

プロカウンセラーは守秘義務があるから

クライアントの話しは詳しくは話せないと言っていましたが、

多分会社から出しているカウンセラーの不倫の内容のブログを読み、

され妻がそのカウンセラー指名、夫と不倫をしている相手の

身代わりにカウンセラーを攻撃するのでしょう。

 

不倫を肯定するということは会社も世間も敵に回すことになる。

そこまでして何が得られるか?独立すればなんでもできる。

でもそれだけを売ってては生活はできない。

 

それならこのブログはなんのために?とふと思いました。

表にも出ることはない。単なる一人よがりかなと思ったり。

でもたくさんのアクセス数と、まだまだ少ないけど、

読者になって下さっている方や

☆を下さる方もたまーにいて下さる。

それがとても有難いのです。

もうやめようかなと思った時に読者になって下さった方がいて、

またやる気に。もっと勉強して皆さんに提供できるものを

多くできればと思っています。

 

今日も読んで下さり、ありがとうございました。もね 

 

 

 

 

 

 

限界を迎えた夜 さようなら?

いつも予約投稿していますが、今日はリアルタイムです。

土曜日、彼が関東に戻って来ました。でも相変わらずいつ会えるか分からない状態は続いていました。

 

会える距離にいながら会えないのは、もう限界でした。今までは会えない距離にいたから、我慢ができたのも、会おうと思えば会える。それでもいつ会えるか不明。

 

このまま続けていくのは、難しいと自分の中で、私の終止符が打たれました。別れはいつ来るのかな?本当に来るのかな?とどこかで考えながらこの数年間過ごして来ました。ずっと私はこの会えない彼と別れたかったのかもしれません。会えないと言っても、1月は二回会ってます。(しかしその前は8月)それも私は満足できなくなっているのです。

 

先程、会える会えないで、少しラインでやり取りをして、彼は怒って寝てしまいました。私が別れを考えていることをラインで送ったことは、彼はまだ知らないし、どうなるのかも分かりません。でも確実に別れの一歩を踏み出しました。

 

この先、主人と離婚をして、次は再婚ができる相手と出会えることを本当の私は望んでいます。彼のことが今まで好き過ぎて、前に進めませんでしたが、今夜はもういいかなと思いました。心がもう十分愛し抜いたんじゃない!って私に言ったような気がします。

 

彼は少し変わって、私自身を守るために書いているのとは違うのですが、親密感を避けるタイプでした。それは人と会うことを重要視していませんでした。元カノ、奥さんとの付き合いに関してもそんな感じに思えました。

 

いつも彼は違うと言いますが、ラインさえ繋がっていれば満足なのです。そのことを今日彼に言いました。

 

まだこのブログは1ヶ月分の投稿があります。彼とのことも書いていますが、少し前のことになります。

 

宜しければお付き合い下さい。

 

 

絶対愛

横浜みなとみらいに一人でいます。今日は彼はここから徒歩で行ける場所に仕事に来ています、そして彼の誕生日なのですが、今夜仕事が終わって、そのまま最終便で帰るため会いません。わたしはランチをして映画を観て帰ります。こんなニアミス?(笑)が今年に入って3回目。少しでも会って誕生日プレゼントを渡そうかと一瞬思いましたが、いやいやそこまでしてどうする?と思い直し、自分の時間を過ごすことにしました。

 

長くなりました、では本題、以前話をした男性が「自分は絶対愛が欲しい、そんな絶対愛を互いに与え合う関係がいい」と言っていたのをふと思い出しました。絶対愛とは絶対的な愛情と言うのでしょうか?そんなものがこの世で簡単に手に入るなら、わたしだって欲しい(笑)

 

絶対愛なんて親子の愛や、ペットに対する愛、つまり無償の愛を、パートナーに求めるのは酷だと思います。その人も母親の愛がきっと少なく、そのまま寂しさを抱えて育ったのでしょう。

 

本当かどうか分かりませんが、会社の経営者。40代、軽く100kgオーバーの恰幅の良い人。そんな人の心の中はまだ赤ちゃんなのですね。生きている間に、母の代わりを求めて、女性を探し歩くのです。本人も気がつかず。

 

絶対愛を彼は彼女や奥さんに与えるかもしれません。しかし相手は同じ思いかは分かりません。見返りに重い愛を要求されるのです。甘えたい時に甘えさせて、かまってあげないと不機嫌になる。たまりません(T-T)

 

その人とは2時間くらい話をしましたが、「くれくれ星人」の聞いているだけで、息苦しさを感じました。こんなでかい赤ちゃんを育てる女性は見つかったか定かではありません。

 

わたしも思い通りに動いて、わたしだけをひたすら愛してくれる奴隷のような男性が欲しい。そんな人が現れたらきっと、傲慢でなんの成長もない女になるでしょう。温室育ちの世間知らずなイメージ。そんな二人が上手くいくか?果たしてどうでしょう。二人でいつもイチャイチャ精神的にも肉体的にも退屈極まりないです。

不倫を繰り返す人

不倫を繰り返す人は多いです。それは男女共に同じ。世間ではしょうがない、どうしようもない人と批判される人たちでしょう。でもそう切り捨てたらそれまでなんですね。

 

でもそれはそうなる理由(わけ)が必ずあるのです。

 

本人たちも望んでしてるのではないのです。繰り返していて、そうなってしまう本当の理由がわからない人も多いと思うのです。

 

基本的な動機はみんな同じ「不足感」です。愛が足りない心の叫びなんですね。どんな愛の不足かは人によって違いますが、愛されたい愛したいが強い人なんです。わざわざ人のものじゃなくてもいいじゃない?人のものじゃなければならない理由もあるのです。

 

これまで生きて来た過程の中で、そうなってしまう出来事が皆あったのです。

 

カウンセリングである程度 癒せますが、ぶっちゃけとてつもなく時間とお金がかかります。そして完全に不足感がなくなることは、ないと思うのです。一部のカウンセラーは不倫をやめることができますよーってなんて言います。そう言わないとお客さんが来ないからです。

 

愛を求めるって本能ですから、不足を埋めない限り求め続けます。お腹が減るのと同じですね。カウンセリングで何をするかと言えば、不足感が生まれた出来事を探り、それを「仕方なかったね」とイメージワークなどで、自分を納得させて、不倫とは違うもので不足を埋める作業をします。それはシングルのパートナーだったり、趣味や仕事だったり。

 

と、言うか不倫をやめたくてカウンセリングに来る人は、もうこの恋愛に疲れ果てていて、別れたいけど、別れられない人がほとんどです。ラブラブの人が相談に来ることは皆無です。

 

「不倫」が辛いのではなく、今の相手が悪いという思考になります。しばらくは既婚者は嫌だと思っても、数年後、数十年後また甘い蜜に誘われる、繰り返す人はそんなパターンなのです。ないものをいつまでも求めてしまう、それも人間らしいと思うのです。

 

不倫が悪いという人は、たまたま今世でそのパターンの課題になかっただけの人。運良く恵まれた環境にいただけ。だから不倫をしない人が偉い正しい人なんて誰が言えるのでしょうか?

 

 

小室さんの騒動から

これがアップされる頃は、もう旬の話題ではなくなっていると思いますが、落ち着いたところで書いてみたいと思います。

 

小室さんとKEIKOさんの結婚は当時、衝撃的だったように思います。きっとすぐに離婚するだろうとか、もっと違う人が小室さんには合うんじゃない?やっかみなのか、何か分かりませんが、またきっと女性問題が出てくるのだろうと多くの人が思われたようです。

 

わたしはKEIKOさん以外の他の女性は華原さんしか知りませんが、小室さんはKEIKOさんの他に2人の人と結婚されたようですね。どの女性もゴタゴタの末に別れたのに、KEIKOさんには結婚当初から小室さんの方がKEIKOさんにぞっこん(古!)だったそうです。

 

それはなぜか?

 

KEIKOさんは小室さんのお母さん役だったと言われています。小室さんは幼い頃に愛情を十分に親子さんからもらえず、孤独な幼少期を過ごしたのです。この愛情の枯渇が大人になってどのように影響するかと言えば、50になっても60になっても70になっても親の愛を無意識に求め続けてしまいます。

 

それは自分で自覚があるかないかは、人によって違いますが、共通点は親代わりを見つけて、それがパートナーになった場合、男女の愛を超えた強い愛情となります。欲しくて欲しくてたまらなかった親の愛がやっと手に入ったのですから、幸せ度は計り知れません。親への未完了の思いをKEIKOさんに求めていた。

 

親を求めてパートナーを選ぶなんて、ちょっと気持ち悪いと思いませんか?でも実際自分も気づかずに、親の代役を選んでしまっている人は多いのです。その親との関係を求めて、知らず知らずの間にお付き合いや結婚に至ると、セックスレスに陥る可能性が高くなります。恋愛の曲線が穏やかになると、異性と言うよりも相手に親の部分を見るケースが増えるので、性的な欲求がなくなってくるのです。

 

もしKEIKOさんが病気で倒れなければ、いつまでもお二人は仲の良い普通のご夫婦でいたかもしれません。例え小室さんが他の女性に目がいっても、必ずKEIKOさんの元に返って来ているような気がします。おいたをする小室さんをKEIKOさんが大きな器で「また新しい彼女ができたみたいです」なんて笑って答えているような。浮気がバレる度に小室さんもバツが悪そうに、謝っている。そして二人でまた仲良く暮らす。そんなイメージです。

 

でも今が現実です。もしもはないのですね。形はどうあれ、これからのお2人が幸せでいて欲しいと願うばかりです。

 

いい人をやめる

カウンセラー養成スクールに入り直し、日々自分を癒すワークに取り組んでいます。自分を癒していない人に、他人は癒さないからです。ワーク中に自分の感情を我慢することなく出すことをしていると、だんだん人に無理に合わせたり、いい顔をしている自分が嫌になります。

 

最近は特にその傾向が強くなり、あまり仲良くなりたくない人とは付き合わないことに徹しています。自分がいい人ぶって利用されたり、もうウンザリです。

 

男の都合でドタキャンをする女、嘘つきな人はおさらばです。

 

今まで友人の仕事を無償で手伝っていたのですが、それも辞めました。初め自分の勉強のために引き受けたのですが、面倒な仕事をどんどん回され、相手はお給料を払うという言葉だけで、一向にその気もないので断りました。

 

休んでいるヨガの先生からも何度も連絡が来て、ついにはハガキで年会費を立て替えてるからと。いえいえ、そんな立て替えてなんてお願いしてません。自分の意思を以前伝えていたので無視です。

 

常に精神的に不安定で依存の凄い親友とも縁を切りました。なんで付き合ってるの?と他の友達たちから言われていたのですが、私もおかしかったのです。

 

以前の私なら無理してでも続けていたと思います。悪いから…と。アホです。

 

年一度の訳の分からない幸せ自慢と、両面印刷の年賀状を今年全て断りました。フェイスブックリア充を定期的に投稿してる友達も非表示。

 

ついこの前、嫌われる勇気とか流行ってましたが、自分の気持ちに従って行動しても嫌われません。相手を利用したり一方的なわがまま、そんな自己中はダメですが、自分に嫌な気持ちにする相手とは線を引くのはありです。